神戸 ⇔ 尾道 瀬戸内海の想い出

2023年8月8日 | からこうたろう | ファイル: 神戸のこと.

2016年〜2017年頃。

筆者は尾道で瀬戸内海の映像制作プロジェクトのチームに参加していました。

ここではそれはそれは貴重な経験をたくさんさせていただき、写真や映像についての叡智を学ぶことができました。

尾道というところ

広島県尾道市。

ここを一言で表すことはとても難しい場所。

ノスタルジックな場所であり箱庭都市。

一回行っただけではその魅力は充分には体感できないかもしれません。

尾道水道を隔てて向島があり、福本渡船という歴史ある船で通勤通学に毎日稼働しています。

海側山川

海側山川というとまるで神戸のようですが、神戸とはまた違った魅力。

密度が濃いといいますか、そんなニュアンスなのかもしれません。

山側には千光寺があり千光寺のロープウェイで頂上まで登ると箱庭尾道を一望できます。

平清盛との関係

ここは岩子島の砂浜。

この写真はしまなみフォトコンテストに匿名投稿し入賞したものです。

岩子島はその昔平清盛が宮島、厳島神社の最初の候補地として上がった場所でした。

しかし、このエリアを支配する村上海賊たちの影響で宮島になったという歴史があるそうです。

村上海賊のお仕事

村上海賊といえば瀬戸内海の海を熟知した一族で、これもそう簡単に説明することは難しい存在。

ワンピースなどにみるような大航海、大冒険の海賊とは違い、主に3つの族派に分類された村上海賊はそれぞれに縄張りを持ち活動していたと言います。

主な活動は水先案内人。

瀬戸内海を通る船は村上海賊に通行料金を支払い安全に運行できるように案内してもらっていたと言います。

もちろん、通行料を払わない船をとうせんぼするような意地悪はしません。

『どうぞどうぞ!(行けるものならご自分で行って見てください)』

というわけです。

それほどまでに尾道、そしてこのエリアの瀬戸内海の海は独特。

深さもまばらで満ち潮の時は通れるけど、引き潮の時は座礁する・・・とか

このルートを選択したら時間差で渦潮が発生し海底に叩きつけられる・・・とか

間違った海流に乗ってしまったらそのままどこかの岩に衝突する・・・とか

ほぼすべての通行者は村上海賊に頭を下げて通行料を支払っていたそうです。

織田信長との戦い

こういうわけですから、村上海賊が戦国最強・・・はい、こと瀬戸内海での海戦限定ではありますが。

戦国最強となるわけです。

それはあの織田信長の海軍もボコボコに撃破してしまうほど。

悔しい想いをした信長が開発したのが鉄船でした。

当時世界最強と謳われた織田信長の鉄船は村上海賊がいなければ誕生していなかったでしょう。

銀山街道

他にも大変興味深いのが銀山街道の終着点として有名だったり。

そのため商人をはじめとした大富豪、財閥の末裔など、尾道にはちょっと庶民ばなれした人たちもたくさん住んでいます。

この女将さんは確かこの時点で90歳近かったと記憶しています。(飲んでたので曖昧)

10代から座敷にでているベテランという言い方も失礼なほどの重鎮。

どの角度からカメラを向けても、この角度とこの表情に一瞬にして変わります。

撮られ慣れているを通り越してもはやポートレート写真を極めておられる存在であると言えますよね。

尾道はしまなみ街道の出発地点であり、サイクリングの聖地ともなっています。

おすすめは大三島。

大三島には大山祇神社という場所があり、それはそれは凄まじいエネルギーをまとった神社です。

大山祇神社(公式サイト)

大三島で取れるところてんは東京の料亭にもおろされている超高級品。

これはすだち農家の方のお宅でいただいたもので大三島でところてんを食べたくでもお店はありません。

東京の料亭でところてんが出た時は大三島産かもしれません。

そんな尾道はやはり最低でも2泊三日ほど時間をとって欲しい場所。

神戸からだと車でゆったり走って3時間半。

飛行機だと神戸空港からは一度東京に連れて行かれたりと現実的ではないので、車がおすすめです。

尾道はどのみち車を借りないとしまなみ街道を楽しめませんからね。

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尾道で宿泊を予約するなら安定のじゃらんがおすすめ。

尾道まで行くなら広島まで伸ばしたい・・・

という気持ちはわかりますが尾道からさらに2時間半ほどかかります。

広島をスケジュールに加えるのであれば新幹線移動で現地でレンタカーもいいかもしれませんね。

こうたろう
こうたろう
音大を卒業後ピアニストとして活動。
自身のピアノトリオで活動後北欧スウェーデンへ。
シンガーアーティストLindha Kallerdahlと声帯とピアノによる即興哲学を研究。
その後ドイツ・ケルンに渡りAchim Tangと共にアルバム作品制作。
帰国後、金田式DC録音の第一人者:五島昭彦氏のスタジオ「タイムマシンレコード」にアシスタントとして弟子入り。
独立後、音楽レーベル「芸術工房Pinocoa(現在はKotaro Studioに統合)」を結成しタンゴやクラシックなどアコースティック音楽作品を多数プロデュース。
その後、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」で音響担当として映像制作チームに参加し村上宏治氏の元で本格的に写真、映像技術を学ぶ。
現在はKotaro Studioにて『あなたのためのアートスタジオ』音と絵をテーマに芸術家として活動中。

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